英語を話せるようになりたいと心底思ったエピソード

こんにちは、ふるかわゆき です。

今まで生きてきた中で一度や二度「英語話せたらなぁ」と思ったことがある方は多いと思います。

私も実はその一人で、そう思いつつも目立った努力もしてこなかったことから、社会人4年目の今になってフィリピン短期留学とカナダにワーキングホリデーに行くことを決めました。

正確に言うとワーホリは英語力向上だけが、目的ではありません。

もし気になった方がいらっしゃれば、こちらの記事もどうぞ

会社を辞めてワーキングホリデーでカナダに行こうと思った理由

今回は、会社を辞めて短期留学、ワーホリに行く決意をした原動力となるエピソードをご紹介します。

 

Contents

エピソード1:大学生で半年間通った英会話教室

 

大学生の頃、漠然と英語話せるようになりたいなと思って、平日1日40分外国人講師とグループレッスンでトークする英会話に半年間通ったことがありました。

しかし当時の私には、留学に行くとか外資系の企業に就職するとか強い意志のある目標がなかったことから、英会話力は全然向上しませんでした。

リスニング力はついたものの、グループで発言することがなかなかできなくて、スピーキング力を鍛えることができませんでした。

先生ともっと気軽に世間話とかできるようになりたかったのにそれもできなかったことが、後悔となっています。

 

エピソード2:銀座で両替所の場所を聞かれたときのこと

 

これも学生の時、母親と銀座に行ったときにたまたま外国人の女性に「外貨両替できるところ教えてください」と英語で尋ねられました。

言われたことは理解できたけれど、銀座の土地勘がなかったのと、なんて説明したらよいかわからなかったことで固まってしまいました。

そうしたら近くにいた日本人のお姉さんが流ちょうな英語で丁寧にその方に説明してくれました。

「めっちゃかっこいい!しかも美人!」

お姉さんはその外国人を見送ってから颯爽とその場を後にしていきました。

そしてなぜか母親はお姉さんに向かって「センキューセンキュー」言っていました。

私はその時の自分の不甲斐なさを忘れません。

 

エピソード3:はじめての一人海外旅行inマレーシア

 

 

社会人になって3年目、急に一人で海外を旅してみたいと思い立ったのです。

外国に住んでいる人のつてはないので、なんでも良いから少しでも縁のある地域に行くことにしました。

私の勤めていた会社は農機具メーカーで国内の販売がメインだったのですが、

マレーシアの一部の地域で農地開拓をするために自社製品が採用された地域がありました。

面識はありませんでしたが、そこの現地の日本の農業生産法人の方に会いに行くことにしました。

日本の農業生産法人のマネージャーは日本人ですが、従業員さんは現地の方なので当然コミュニケーションは英語になります。

そこの法人の方々に色んな観光地に案内してもらったりご飯に連れて行ってもらったりと4日間お世話になりっぱなしでした。

そこで、お世話になった日本人の方とはお話しできたものの、現地の方とコミュニケーションがうまく取れず悔しかったです。

 

その時の経験が、次来た時には英語を話せるようになっていたいと私に一番強く思わせました。

 

まとめ

 

誰もが1度や2度は英語が話せるようになりたいと思った経験はあると思います。

しかし、日常に戻ってしまうと英語が話せなくても支障がない日常生活に戻ってしまうことから、そういった意識が薄れてしまうことは仕方がありません。

私の場合も仕事などで必要に駆られてというよりは、このままだとこの先自分が後悔すると思った経験の積み重ねがあって、短期留学に行こうと決めました。

この先、英語が話せなくても後悔しないだろうと思う方はそれでも良いかと思います。

自動翻訳機などの精度も上がってきているようですし、仕事で必要な時は通訳にお願いすれば問題ないです。

だとしても英語を少しでも話せることによって、情報収集の仕方も自分が関わる世界も格段に広がってくると思います。

日常英会話くらいは話せるようになりたいと思った方は、短期留学までいかなくても現在は月々数千円から気軽に始められるオンライン英会話などのサービスも充実しています。

 

私もオンライン英会話を使って短期留学までに英会話力アップに励みます!!

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