はじめまして、このサイトの運営者ふるかわゆき(@RanpySnow)です。
現在は見習い通勤農業者で、埼玉県の川越市の野菜農家さんで働いています。
農家見習いのスタート
群馬県北軽井沢の野菜農家さんで2021年6月から11月までの約半年間働きました。
主に結球レタス、非結球レタス、キャベツ、大根、白菜、ほうれん草などなど多品目の露地野菜を栽培しています。
ここで半年間がっつり農業に関わらせてもらって、将来自分でも独立して農業やっていきたいと思うようになりました。
知識も経験も不足しているので、“今できることから”をモットーに地道に準備を進めています。
農業を「私が農業を仕事にしようと思った理由」についての詳細はこちらからご覧になれます↓
好きな人・コト・モノ
好きな人
・好きなコトに没頭できる人
・年下、年上関係なく他人を尊敬できる人
好きなコト・モノ

・おいしいものを食べること
・旅行
・料理
・地図を眺めること
・自然の多い場所
・スヌーピー
・犬
・新しいことに挑戦すること
生い立ちと学生時代
東京で3人兄弟の真ん中っ子として生まれ育ちました。
上は2歳年上の兄、下は4歳年下の妹です。
兄の方と歳が近かったこともあり、いつも遊んでもらった記憶があります。
大人になってからはどちらかというと同性の妹と連絡を取ることが多いです。
私を含めて両親と兄、妹、祖父母の7人、プラス1匹のビーグル犬と暮らしていたので賑やかな家庭でした。
内気で自分に自信がなかった小学生時代
内気で自分に自信がなくて、友達関係がうまくいかない時期が結構ありました。
唯一自分に自信を持てたのは体育の時間と運動会、両親から受け継いだ運動神経が自分を救ってくれました。
そして小学校3年生から6年生までドッチボールのクラブチームに入部して競技ドッチボールに熱中しました。
そこから少しずつ自分の良さや得意なことを発見できるようになってきました。
小学生時代は友達と遊ぶというより習い事やクラブ活動に励んだ記憶の方が強いです。水泳やくもん、書道、ドッジボールなど小学生にしては割と忙しい日々を過ごしていました。
今思うと、習い事やクラブ活動にたくさん挑戦させてくれた両親には感謝しています。
部活に明け暮れた中学時代
スポーツは大好きだったのですが、ドッチボールで腰を痛めていたので激しい運動は医者から止められていました。
そこで当時マーチングが全国レベルで強豪だった公立中学が近くにあったのでその吹奏楽部に入部することにしました。
もちろん顧問の先生も先輩も本当に厳しかったです。
特に同じトランペットパートのリーダーが『マーチングの鬼』といわれる人でいつも厳しくて、怖すぎて私はいつも泣きながら練習していました。
部活から帰って家でも鏡の前でマーチングの基礎練習や家の廊下にマーチングで歩く基本の歩幅62.5cmのポイントを貼って歩く練習していました。
寝る前も楽譜を見ながら歌ってイメトレして夢でも楽器を吹いていました。
本当に部活一色の生活でした。
そのおかげもあってマーチングでは3年連続全国大会で金賞をもらえたのと強い精神力を手に入れました。
部活と勉強の両立に励んだ高校時代
高校からはまた大好きなスポーツをしたいと思い、ソフトボール部に入部しました。
高校入学前から父親と兄と公園に行って素振りとかキャッチボールを教わる気合の入りぶりでした。
しかし高校は進学校だったこともあり、部活よりも勉強についていくのが大変でした。
「何でみんなこんなに勉強できるの?」ってくらい周りは頭が良い人たちばかりで、自分がその学校にいること自体が不思議でした。
部活の方は“もっと真剣にやりたい”と思いつつも、チームメイト同士の温度差やチームの方向性としてそれは難しかったので少し物足りない気持ちが残りました。
最後の学生生活は遊びよりもラクロス!!

高校時代の部活への物足りなさもあったことから、大学4年間夢中になれるものをしたいと思ってラクロス部に入部しました。
朝4時に起きて、7時から昼まで練習して、授業に行って、夕方からは委員会の活動か、バイトに行くという4年間でした。
ラクロス部の活動を通して、競技技術向上だけでなく組織運営やチームの在り方、人としての在り方も考えさせられました。
新卒で農機具メーカーに就職
就職したら親元を離れて生活してみたいと思っていたので、実家の東京から少し離れた茨城県の100年続く老舗の農機メーカーに就職しました。
親せきが農業やっていたことや大学は地理専攻で農業にも縁があったことからその業界で働きたいと思っていました。
新人研修と工場の生産管理を経験した社会人1年目
半年間の新人研修の後、工場の生産管理部門で半年事務職をしていました。
PCとひたすら向かって仕事かトラブルなどがあったときに工場に駆けつけていました。
1年目で難しい仕事をそんなに任されることも無かったので、割とプライベートと会社員生活を満喫できた1年だったと思います。
この時の衝撃的な思い出は新人研修という名目のもと42.195kmのフルマラソンに挑戦させられたことです。
人生初めてのフルマラソンで何とか完走できて、2度と走りたくないと思ったのに、なんだかんだその後もマラソン大会に計4回出場してしまいました。
辛かったけれど学びはたくさんありました。
詳細はこちらから読めます↓
社会人2年目から3年半まで
社会人2年目からは入社当初から希望していた営業になりました。
しかし実際にエリア担当を持ってからが、想像を超える大変さと責任の重さで精神的に追い込まれました。
農機具や農業機械関連の営業担当は一人が持つ担当エリアがとても広く、1人で2県、3県と持つことは当たり前でした。
その分、営業先に行くのも毎日高速に乗って1日4,5時間移動は普通で、体力に自信があった私でもきつかったです。
それに加えて農業や機械の知識も乏しかったので、先輩やヘビーユーザーさんに教わりながら毎日が必死でした。
周りに支えられながらなんとかやっているような営業担当だったと思います。
この時期あたりにちょうど会社の経営陣同士の内部紛争などもあり、自分の将来について悩んだ時期でもありました。
詳細記事はこちらです↓
退職後

悩んだ結果、今いる自分とは全く別の世界も見てみたいし、今しかできないことをやりたいと思うようになり会社を退職しました。
退職後は実家に戻り半年間、派遣やバイトでお金を溜めながら留学やワーホリの準備を進めました。
フィリピン・セブ語学留学

2019年2月の中旬からセブのCROSSxROADという語学学校で3か月間フィリピン人の先生とマンツーマンで英語の勉強をしました。
CROSSxROADには素敵なスタッフさんや先生がいて、そこに集まってくる生徒さんも個性的で面白い人たちが集まってきます。
そこには誰一人として、人を否定するような人がいなくて、英語の勉強だけでなく人生において大切なことも学べました。
また、遊びに行きたいなと思っています。
10か月間のカナダワーホリ生活

2019年5月から2020年3月までカナダのバンフとレイクルイーズでワーキングホリデーとして滞在していました。
夏はキッチンアシスタントとしてレストランで仕事をしながらカナディアンロッキーのマウンテンライフを満喫し、冬はレイクルイーズのスキー場で働きながらスノーライフを楽しみました。
ワーホリの生活については1か月ごとに振り返り記事を書いていました↓
2020年3月末に新型コロナウイルスの影響で急遽帰国を決断し、日本へ帰ってきました。
日本帰国後
日本に帰国した直前は今後のことについて先も見えず、ひたすらランニングと筋トレと英語学習に費やすような毎日を過ごしていました。
アルバイトと就職活動を並行しながら、カナダから帰国半年後に再び会社員として働きました。
仕事は東南アジアからの外国人技能実習生を受け入れ、受け入れ先の企業と実習生をサポートするものです。
半年間働きましたが、残念ながら会社の業務内容や体制が自分に合わず心身に不調をきたし始めたので辞めてしまいました。
再び農業に関わる
カナダから帰国後の就職活動中、農業に再びかかわることも選択肢として考えいたので農業専門求人サイトもチェックしていました。
その時期、気になっていた野菜農家の求人が再度掲載されていたので応募してみることにしました。
以前農機メーカーに勤務していたとはいえ、農業自体をやっていたわけではないので初めての挑戦になりました。
ここでやりながら自分に農業が合っているか確信を持てたらその道に進もうと思いました。
それが、前述した農家見習いのスタートでした。
実際にやってみて、早起きや力仕事、雨が降る中仕事するなどありますが、自分にとってはあまり苦に感じませんでした。
むしろ外で仕事できるのは気持ちが良いし、毎日色んな変化や発見があってそういった楽しさが大変と思うことよりも断然上回っています。
最後に
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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