なぜこのまちで?レイテ島タクロバンにて出会った日本人建築家の活動

こんにちは、ふるかわゆきです。

今回はフィリピン・セブ島留学中に訪れたレイテ島タクロバン市にて、知り合いのご縁で出会うことができた建築家、大野宏さんの活動について書かせていただきます。

同じ日本人、同世代で彼のような志を持って海外で活動をしている人がいることに素直に感動しました。

その姿や思いを少しでも発信できればと思います。

大野さんプロフィール

 

 

 

 

 

 

 

 

大野宏(おおの・ひろし)さん 左から3番目
Instagram:studioon_site より

大野宏(おおの・ひろし)
1992年生まれ。滋賀県立大学大学院博士後期課程在籍。
現在、フィリピン・レイテ島タクロバン市にある被災者強制移住地区にて教会兼コミュニティスペースを建設中です。
現地のフィリピン人と寝食を共にしながら現地の材料や技術を使って、住民の習慣や文化を尊重しつつプロジェクトを進めています。

フィリピン・レイテ島タクロバン市とは?

フィリピン中部、レイテ島北東部の海岸にある港湾都市です。

セブからは飛行機で国内線に乗るか、フェリー&車で行く方法があります。

今回はセブからレイテ島オルモックまでフェリーで3時間、バンに2時間半ほど乗ってタクロバンの町に到着しました。

このまちは、2013年11月8日にスーパー台風(370km/h)ヨランダが引き起こした7mの高潮の被害にあいました。

その高潮によって海沿い地域の集落は、壊滅的な状態となりました。

現在は危険区域として住民は半強制的に内陸部の移住区域に移住させられています。

しかし、すべての移住は完了しておらず、その地域には再び住居が立ち並んでいます。

大野さんとタクロバンのかかわり

タクロバン海沿い集落の被災地に入り込んだきっかけ

被災の翌年2014年、授業の一環でゼミの先生とともに現場調査に訪れたことがタクロバンとかかわる最初のきっかけとなりました。

そこで再建されているバラックを見て、「自分の学んできた建築技術をここで活かせないだろうか、、、」と思ったそうです。

ちょうど大学4年生であったことから卒業制作も兼ねて、ここに仮設住宅の建設をしようと、単身で再訪しました。

住民と寝食をともにしながら約一か月半滞在して仮設住宅を完成させました。

現地の住民や職人となんとかコミュニケーションを取りながら、現地の素材や技術を住民たちの生活の中から拾い集め、この仮設住宅に取り込みました。

Instagram:studioon_site より

建設から4年以上経過した現在でも仮設住宅には彼のフィリピン人の友人が暮らしています。

なぜ強制移住地区に教会兼コミュニティスペースをつくろうとしているのか?

強制移住地区は海沿いの被災地の集落から車で20分ほど離れた内陸部にあります。

被災から4年以上経過して、移住地区では住民も定住しつつありましたが、いまだに公共施設の建設は間に合っていませんでした

そんな移住地区を歩く中で、住民たちの声を聞くと「住民たちが集まり、話し合える場所がない。」ということでした。

この会話から、大野さんはこの移住地区にコミュニティーセンターを兼ねた教会を作ることに決めたそうです。

移住地区にはコンクリートの箱型の住居が並べられていますが、このコミュニティーセンター兼教会はあえて地元でとれる素材や技術を使い、かつての港町の風情がよみがえるような建物を設計しました。

現在の強制移住地区の様子と大野さんの活動(訪問日:2019年5月6日)

実際に現地を訪れるとコンクリートの壁と鉄板の屋根で画一的に建てられた住居が立ち並んでいました。

一見安全で、移住前の家よりも暮らしやすいように見えます。

しかし、そこには建物に反映されるはずの住民の個性は無く、生活していく人々の利便性や生活様式をあまり考えられずに作られてしまったようです。


Instagram:studioon_site より

被災前、住民が自分たちで建てた居住地の家は密集していて、隣の家同士の距離も近く、建物によって自然と日影ができていました。

そうすると日中、住人たちは自然と外に出てきて日影で隣人やご近所さんと会話をするといったコミュニケーションが取れる環境が自然にできていたようです。

しかし、現在は道幅も広くなり、外に出ても日影のある場所がほとんどなくなってしまって、以前のように住民同士でコミュニケーションを取れるような場所自体が少なくなってしまったようです。

家と家の距離感は住人たちの心理的距離感にも反映されるようです。

と熱心に大野さんが説明してくださいました。

現地の住民とともに時間をかけて生活をしたからこそ見えてきたものだと思います。


Instagram:studioon_site より

このように地元の方と一緒になって教会兼コミュニティスペースの建設に取り組んでいます。

日中30℃を超える暑さの中の作業は本当に大変だと思います。

私が訪問した2019年5月6日時点で、教会部分の骨組みと壁の部分ができています。

コミュニティスペースはまだ、骨組み部分を作っている最中でした。

地元の職人さんなどと作っていくうちに、このプロジェクトが始まった当初に想定していた形から現在の形に変わっていったそうです。

建物の基礎にはコンクリートは使わずに石を使っています。

コンクリートだと解体した際に廃棄物になってしまうそうですが、石であれば自然に戻るだけということで、建てた時点だけでなく、その先のことも見据えて作られているのですね。

建物の外側の部分も現地で調達できるものです。

ヨランダ被災地、海沿い集落のいま


ヨランダ記念碑

当時の津波被害によってこの地域に乗り上げた船がそのままモニュメント化されている場所です。

 

船のモニュメントの上から見た風景です。

このコンクリートでできた建物は津波の被害で壊れた当時のまま残っているようです。

当時の被害のすさまじさが伝わってきます。

すぐ近くに住居も建っていて倒壊した際、大丈夫なのか心配になります。

この集落が高潮の被害にあってから、すでに6年が経過しました。

居住するには危険なエリアということですが、再び住居が立ち並んでいます。

このエリアはダウンタウンに近いということ、海に近いという利便性、生まれ育った場所を離れたくないといった様々な理由から強制移住地に移らずに暮らす人々がいます。

最後に

Instagram:studioon_site より

今回の訪問で、建築士は建物のデザインを考えたり、図面を描いたりといった技術的な部分のイメージが強かったのですが、人と人との間に立って現場をマネジメントする能力がとても大事になってくることがわかりました。

また、そこに住む人や生活、習慣を考えて、実際に作る人と材料調達から施工をやっていく重要性を知りました。

ましてや大野さんの場合は、日本と全く気候も生活習慣も違った土地で現地の人の生活や習慣にあった建築物をつくろうとしています。

現地の人の生活に入り込んで建築の材料となる素材を考えたり、建物の工法を考えたりと、このプロジェクトを通して様々な問題や課題に直面して、それを乗り越えてきました。

現場を見ながら「本当にすごい活動してますね!」と感動している私に対して「好きでやっているんで」ととても謙虚な対応でした。

「ああ、こういう人だからこそ現地の人に受け入れられて色んな人の協力を得ながらプロジェクトを進めて行けるのかな。」と勝手に納得してしまいました。

また、今回の経験を通して、途上国支援などの在り方について考えるきっかけになりました。

特に衣食住に関わるものは、人々の暮らしや生き方、幸福に直結してくるものだと思います。

何でもかんでも“効率的““合理的“にものごとを進めていくのが良いように思われがちな時代だからこそ、時間をかけて物事を進めていくことの大切さを教えてもらった気がします。

参考:

インスタグラムstudioon_site
https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/pk_reports004/
読売新聞しが県民情報2018/7/27
建築ジャーナル2018年6月号

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